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◆世界の葬儀 ◆

ライン


●イスラム●

天使たちのお迎え

 イスラム教の聖典コーランによると、「魂は皆、死を味あわなければならない」「各人の死ぬ時間は予め正確に定められている」「天使が時の終りにラッパを吹くと、神が嘉する者以外は全て消滅する」と説かれています。

信仰のある者が死ぬと、白い衣を着た天使がやって来て、彼を神のいる安らぎの場所に招く。死者の魂はじや香の甘美な香りを放ちながらやって来る。天使たちはその香りを満足そうにかぎ味わう。その魂は天使から次の天使に手渡され、ついには信仰深き魂のいる天国へと至る。彼らはその魂を喜んで迎え、地上に残してきた人々のことについていろいろと尋ねるといいます。

不信仰の者が死ぬと、怒りの天使がやって来る。その死者の魂は不快な悪臭を放ち、天使たちの気持を悪くする。墓の天使たちの尋問を受けたあと、彼は不信仰者たちのいる地獄に連れていかれます。

埋葬はすぐ行なわれます

 人が臨終になると、その人の顔はメッカの方向に向けられる。周囲の男たちは「アラーの外に神はない」という信仰の告白を唱えたり、コーランのヤー・シーン章を唱える。 「臨終の最後の言葉がカリマである者は天国に入るであろう」という言伝えがあるからです。

墓場での審判

 葬送行進は国によってかなり違ってきます。インドでは女たちは参加しません。エジプトでは棺の前を男の友人、親類が行進し、棺の後ろを女たちが、嘆きながらついてくる。雇った泣き女たちが嘆きの声をつのらせ、死者を賛美しながらついて行きます。だが聖者の場合には喜びの声を上げるといいます。

墓では、顔がメッカの方向を向くように右向きに寝かされ、小量の土が振り撒かれコーランが唱えられ、それから墓の蓋が閉じられます。夜になると墓の天使たちが来て、死者が正しい信仰をもっていたか調べるといいます。もし答えが満足のいくものであれば、美しい顔をした人が死者の前に現われ、「私は汝の善行だ」と告げます。そうでない場合には恐ろしい容貌をした人が現われ、死者は辛い体験をするという。イスラム教徒たちは、この「墓の拷問」の恐怖を信じているそうです。

 

●キリスト教●

罪の結果としての「死」

 キリスト教では「死」を人間の原罪がもたらした刑罰と見なしているそうで、新約聖書には来世に関する具体的な表現はないが、教会での教説が精密化するにつれて、天国、地獄・煉ごくの区別がつくられてきた。天国では祝福された魂が無上の喜びを永遠に享受するが
地獄に堕ちた魂は神の領域から閉め出され苦しみを味わうとされ
イエスは十字架を背負うことで人類の罪をあがない、復活したことを信じる者は、すべての死者が復活する最後の審判の場面において永遠の生命を与えられるといい伝えられています。

死後の5つの世界

 死者は死後、次の5つの場所に行きます。
(1)邪悪の人間の行く地獄。(2)キリストを信じ、徳に生きた人が行く天国。ここには肉の復活の希望があります。(3)キリスト以前に生れた義人、徳高い異邦人たちは父祖のリン(辺獄)に行きます。(4)洗礼を受けないで死んだ幼児は、幼児のリンボに行きます。リンボは天国と地獄の中間にある。ここでは地獄の苦しみはないが、神を見ることはできなません。(5)キリストを信じたが、罪を犯しその償いが果たされていない人間は、浄化のために煉獄に行きます。 ここはリンボと地獄の中間にあります。ここにいる人間は、罪悪感の為火に焼かれるように苦しみます。もはや行為によって償いをすることができないので苦悩によって償うのです。生者が死者に代わって功徳を積む場合そのとりなしによって罰や苦痛が軽減されるといいます。祈り、喜捨、ミサはそうした役割をもつそうです。

肉の復活のための埋葬

 カトリックも、臨終の時を大切にします。この時には罪を告白し、懺悔することによって罪を拭い取り、聖別された油を塗ることで、霊的な健全さを回復します。これは7つの秘跡のうちの「終油の秘跡」といいます。 亡くなるとまずその故人を偲び、故人のために祈り、遺族を慰めるために通夜を行ないます。そして次に葬儀はミサ(聖餐式)で行ないます。このミサがレクイエムで始りまります。レクイエムとは安息を意味するラテン語です。ミサが終ると告別式を行ないます。葬列行進では、明るいイン・パラディスム(天国ヘ)が歌われます。この行進は普通日本では行なわれません。キリスト教では、遺体処理は、肉の復活との関わりから土葬が普通である。墓地では、信仰的にさらに希望に満ちた歌が用いられます。こうして徐々に生者も死者も、悲嘆の状況から未来の救い、再会への希望へと尊いかれていきます。追悼は死後3、7、30日。そして年ごとの命日に行ないます。

 

●ヒンズー教●

護摩をたく儀礼

 インドを中心に南アジアに広がる民俗宗教であるヒンズー教は、シャーマニズム的なものから、梵我一如を説く深遠な思想、実践体系に至るまで多様性を包括した宗教の宝庫です。その神々、儀式は日本にも仏教を通じて、形を変えながらも多くが伝来しています。インド人は日本の寺の護摩を焚く儀式を見ると驚きます。ちなみにヒンズー教では護摩を焚くことは古来よりバラモンの中心儀式でした。 インドでは人が死ぬと茶毘(火葬)に付されます。死者はその火とともに天に昇って、神か祖霊の道を進みます。生前に真我(アートマン)を認識する修行を行った者は、神の道、即ち炎、光、昼、満ちゆく月、北行する太陽を通って、梵(ブラフマン)の世界に行きます。そして再びこの世に輪廻することはありません。それ以外の人間は、祖霊の道、即ち欠けゆく月、煙、夜、南行する太陽を通って祖霊(ビトリ)の国に至ります。やがて時期が来ると、同じ道をたどって、地上に生まれ変り、死者の生前の行為(カルマ)に従って、人間・動物の胎内に入り生れ変わります。悪を犯した者は閻魔(ヤーマ)の世界に行き、責苦を受け罪を清められるのです。

ヒンズーの臨終念仏

 死者の臨終のときの心のもち方が、来世の運命を決定するとも言われています。即ち臨終のときに生前もっとも関心を寄せた事柄が頭に浮かび、この最後の思念が来世への運命を担っていきます。ヒンズーの聖典、『バガバッドキータ』に「臨終にさいして、如何なる状態を念じつつ肉体を捨てようとも、常に思念したその状態に達する。その時私(クリシュナ、最高神)のみを念じ、肉体を脱していくものは私の状態に達する。」と述べられています。

ガンジズ河に消える死体

 死者は火葬の火によってのみ天に赴くことができると考えられ、変死したもの、葬式を行わなかったものの霊は地上に止まり、悪霊(ブート)、亡霊(プレータ)として人間にさまざまな悪をなすといわれています。ベナレスでは死体はガンジス河のほとりの沐浴場(ガート)近くにあるバーニングガートで、男は白、女は赤の布に包んで、薪のうえに乗せ、衆人の前で焼くのです。そしてその灰も骨も川の中に投げ込まれます。昔はスマナーサという塚を作ったことがあったが、現在では墓も仏壇も位牌も作りません。 昔は夫が死ぬと、妻も一緒に火葬される寡婦殉死の風習(サティー)があったが、近代にサティー禁止法ができ無くなりました。祖霊祭(シラダー)は『マヌの法典』に詳細に規定されているとおり非常に重視されました。死後12日間が喪の期間であり、10日目に祖霊祭が行われ、1年間は毎月死者のために祖霊祭が行われ、1年を過ぎると他の先祖と一緒に1年に1度お祭りする。団子(ピンタ)を供えて、過去3代の祖霊を祭る。3代の先祖のかわりに3人のバラモン僧を供養する。 仏教の聖地ブッダ・ガヤの北にあるブラフマ・ガヤはヒンズー教の先祖供養の聖地である。毎年大勢の人が先祖の解脱を求めてガヤに巡礼に出かけます。インドはまだ宗教が生きている国です。

 

●仏教●


死後世界

 
  日本に仏教が入った時代は、それが最高の学問体系であった。当時は医学も科学も仏教の一分野といってもよく、執行される儀式は大変に現世利益的なものがあったと思われます。

10世紀末に比叡山の源信によって書かれた「往生要集」は、死後の世界である極楽と浄土のガイドブックであり、また「いかにして西方浄土に生まれる事が出来るか」という実習マニュアルでした。このテキストは大変珍重され、平安時代の貴族社会に浄土信仰を普及させるきっかけとなりました。

では人々はなぜ、それほどに死後にこだわったのか。よくいわれるのが、当時は医療技術が発達していないので、伝染病や死産などが発生すると、それは魔や怨霊のせいにされました。死が日常であったので常に死の準備はかかせませんでした。こうした災いを加持祈祷して払拭することが仏教の大きな役割の一つでした。当時の仏教は今日の医学や心理学を扱っていたのである。もちろん日本に伝来した仏教は大乗仏教であったので、大衆を救う事が目的であるという原則はそれなりに理解はされていました。しかし仏教といっても、まず自分たちを救うことが先決であったのです。

「往生要集」は数多くの仏典のなかから、死後の描写と浄土に往生するための部分を抜粋した文章からなりたっています。従ってこれは源信の著作というより編集といったほうがいいかも知れない。しかし多くの仏典から関連部分を抜粋することは、なみなみならぬ作業です。

誕生のプロセス

 仏教では死のみでなく、誕生も7日を単位としています。胎内にあるとき、意根と身根となります。七日目には増減しないが、二七日(ふたなのか)に胎が多少変化をみせ、三七日(みなのか)目にチーズのようになり、六七日(むなのか)には肉になります。九七日(くなのか)には肘、首などが生まれ、十一七日(77日)には手、指、目、耳、鼻が生じ途中の過程を略して、三十八七日(266日=約9カ月)には母の腹のなかにあって、その性質に従って風が起こります。

前世の行ないが正しいものは香風があり、その身体は大変に整っていますが、これに対して前世で悪をなした者は、臭風が発生し体の見栄えも貧弱な者になります。

 

●道教●

仏数の影響のある死後世界

 最近は中国の解放政策も進み、今まで迷信として禁止されてきた道教も認められるようになってきました。それまでは家の中で秘かに信仰していた民衆も、公然と道教の寺院に詣でるようになりました。古代中国では、死者は黄泉あるいは泰山に行って安眠すると信じられていたが、仏教が伝わると地獄の説が取り入れられるようになり
そこは陰惨な刑罰が繰り返される牢獄となりました。同時に中国の警察・裁判組織を反映し極めて官僚的な冥府に変化しました。 

人が死ぬとその魂は冥界の知事に、農村であれば土地廟に留置され、そこで拷問を受けたあと、泰山等の中央の冥府に送られます。

地獄の沙汰も金次第

 遺族は廟に行き、神を拝み、神の銭を焼きます。また、冥途は冥途路引という一種のパスポートが必要な為、それも焼いて送りました。
冥途にも貧富の差があり、貧者にとっては生活難で、飢えや寒さに苦しむといいます。ものを焼くと、冥途で実用になるため、遺族は紙銭を焼いて、死者が金に困って難儀をしないように援助します。
49日の判決の日まで、死者の判決が有利に運ぶように、追善供養を行い、さらに、生前のうちに、生前の借りを返し、死後使える金をためておくため、読経あるいは紙銭を、寺に寄進する受生寄庫も行われていました。

生前の行為を映す鏡

 死者が冥途に行くと裁判を受けます。善悪の秤に掛けられるのである。死者の生前の行為を記録した帳簿を一方に乗せ、善と悪の牌をもう一方に乗せてその重さで、罪を計るのです。中国では日常の善悪の行為を記録し、その人の成績を評定する「功過格」というものがあります。また冥途には、業という巨大な鏡があります。死者が虚偽の申し立てをしようとも、死者の生前の行為があからさまに映し出されるのです。

地獄を逃れる3つの法方

 審判を受けると24の獄の1つに送られます。そこには針山・血の池・抜舌・毒蛇・鋸解・呑火食炭・寒水などありとあらゆる責め苦が待ち受けている。この地獄の刑罰を逃れるには、1つには『度人経』等の経を読みます。2つには、官吏も人間なので、もし官吏に知り合いがいれば、その者に取り入ることです。3つには官吏に紙銭の賄賂を送る約束をします。受刑を通過すると、罪福の程度に応じて、受生が決定され、天国・人間・餓鬼・畜生の世界に送られる。道教の死後の世界は、とても人間くさい世界であり、生きているときはゆうに及ばず死んでからも、金と役人の苦労はたえなかったのである。道教は民衆の不幸や迷いを解決する現世利益的な宗教である。従って、不幸や迷いがあるかぎり根強く民衆のなかに生きていくであろう。道教のもう1つの面に、不老不死の仙人になる修行体系がある。最近中国で流行し始めた「気功」はもともとこの行法の1つあった。

 

●儒教●

葬送儀礼

孔子の教えは門弟たちによって大成され、儒教として展開しました。儒教が中国の国教となったのは漠の武帝の時です。古来より儀礼を重んじた儒教では、葬儀は「儀礼(ぎらい)」「礼記」「周礼(しゆらい)」の三礼によって行なわれていました。韓非子が「儒者破家而葬」と批判したように、多額のお金を使い複雑な葬儀を行ない、長い喪に服しそうすることが孝と考えられていました。

儒教では陰陽の説に従って、人は死後魂と塊(はく)とに分かれ、魂は陽に従って天に昇り、塊は地に降り、陰に従うとされました。このため魂は位碑にまつり、遺体は土に埋めて土葬としました。そして死者は、死後も生前と同じように生活すると見なされていました。 死が近づくと、その病人を北窓の下に頭を東向きに寝かせ、病人の口と鼻に綿をつけ、その動きによって死期を知ります。死ぬとすぐに哀哭し、「復」という招魂を行なった。屋根に上り北にむかって大声で死者の名前を呼び、天に昇る魂を呼び戻そうとしたのです。死体を沐浴させ、爪を切り、死装束を着せ、食物を与えた。親戚、友人は紙銭をもって弔問し、その紙銭は炉で燃やされた。
それは冥界の通貨となると考えられていた。庭には神を依らせる「重(ちょう)を立て、そのうえに死者の姓名官位を記した「銘」をのせた。
亡くなった翌日には遺体を整え、衣装を加える「小斂」の礼を行ない、その翌日には場所を移して、同様な仕方で「大斂」の礼を行なった。
その後納棺し、殯宮に安置する「殯(ひん)の礼が行なわれた。この間、遺族は死者との関係に従って、厳格な服装規定に従い、たびたび悲しみを表わす舞踏が行なわれた。

 

日本にも伝わった儒教儀礼

 父母が亡くなったときには3年の喪に服することが決められていました。この間は、士大夫は公的な仕事から退きました。13カ月目には
「小祥の祭」、25カ月目には「大祥の祭」を行なった。 六朝時代には仏教、道教の葬礼も確立し、これ以後3つの宗教はお互いに影響を及ぼしながら、歴代の皇帝の宗教政策によって栄枯盛衰し、葬儀もそれに従いました。朝鮮では、儒教が広く受用され、儒教葬もよく行なわれていました。日本では仏教の影響が強く、儒教葬は殆ど行なわれなかった。しかし朱子学が奨励された江戸時代には、朱子の儒教儀礼を集大成した「文公家礼」に基づいて、水戸光圀が儒教葬を奨励したという歴史があります。                               

recommend

TBC
http://www.tbc.co.jp/
戦車 プラモ
http://girls-und-panzer.jp/pro_pf.html

2015/5/1 更新

 

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